2011年6月14日火曜日

津軽石 〜堀内〜

馬根宅へ赴く。





馬根母と馬根祖父に御挨拶。






学生時代は散々迷惑をかけた馬根家族。







一階は浸水し、飼っていた犬が亡くなったとのこと。





リビングのフローリングを新しくしたそうだ。





離れの扉は外れたままになっていた。






玄関の前で皆さんで写真を撮ったのだが、組み合わせが無茶苦茶なのでupは控える。






お別れした後、少し歩く。






いつもここに来るときは夜だったのでわからなかったが、公園がある。






海沿いなので思いっきり被災したであろう、フェンスがなぎ倒されている。







そのフェンスの間からタンポポが咲いていた。





溝の水が溢れ出てできた水たまりにはオタマジャクシがいた。








僕が宮古で見て回ることができたのはこの堀内の公園が最後だった。







ここを見ることができてよかった気がする。







今回、宮古に帰って、時間の許す限り、回って写真を撮った。





写真をやるものとしての習性のようなものが働くので、撮る写真、撮るべき写真というものの線引きが難しかった。





そのことについてはまだ答えは出てない。






被災地。






残酷な光景が多かった。






自分の産まれ育った土地。





その反面、写真を撮る者としての血が騒ぐ。






「もっと踏み込んで、もっと悲惨な、もっと酷い写真を撮りたい。」





そんな声が聞こえる。





目の前にはいくらでも残酷な被写体がある。






木に引っかかったままの衣服。






波に漂うベビーカー。





瓦礫の中から顔を出すぬいぐるみ。








僕が宮古出身じゃなかったら迷わず撮っていただろう。






撮った写真の倍以上、撮らなかった写真が多い。撮らなかった写真って何だ?






写真を撮らないことが正解かどうかはわかりませんが、後悔はない。









どんど晴れ。

白浜

小鯖んちに赴く。






「おらんちは大丈夫だった。」






とか言うから、ふーん、そうか。と思っていたら。家のギリギリのあたりまで何も無くなっていた。







何も無くなってしまったエリアには友人の家があった。






いつも犬を散歩していた。





元気だろうか。






そういえば震災後は宮古で犬や猫を全く見かけなかった。





砂に犬らしき足跡。









白浜にあった船は一隻も無く、陸に上げられていた。


















牡蠣のカラか。養殖の施設も壊滅してしまった。










白浜には何かしらで遊びにきていた。





小笠原サイダー飲んだ駄菓子屋もなくなった。





そん時の写真。撮っておいてよかった。

























小鯖「おめえが撮った白浜の写真、たまに見でるよ」






なんだか、使命感のようなものを感じる。





撮らなきゃないんだな。





これからも。

2011年6月13日月曜日

宮古温泉マース

マース、宮古の人なら一度は親と行くであろう場所。









すぐ海の見える場所に建っているため、見る影も無い。










2階建ての建物は鉄骨のみに、更にその鉄骨にブイがひっかかっている。
この高さまで浸かったということか・・・。







マースの駐車場だった場所に大量の車。










撮影していて気がつく。
駐車場に止まっていた車ではなく、町から撤去され、ここに集められた車だということに。
壊れ方が尋常じゃない。この中で亡くなった方もいるだろう。













陸前高田の高田松原ほど有名じゃないけど、元マースに残された一本松。





2011年6月12日日曜日

ラサ一周

一中、宮高の私はラサ一周を人生で何回走ったことでしょうか。





まあ、途中から写真部だから大したこと無いか。




中学1年の時はズルして、陸橋の上を渡ってワープしたりしました。




今思えばとんでもなくバカ。よく汽車が来なかったと思う。




まあ、1時間に1本とかだからね。





宮高3年の時、体育の時間にラサ一周だったからハリキって走った。写真部のくせに。




写真部の僕が2位だったから八木センにえらく誉められた。
(1位はラグビー部キャプテンだった)









ラサは、汗と太陽とカン詰工場とコープケミカルの匂いのする場所。






今は不思議と何の匂いもしませんでした。