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2015年1月2日金曜日

あけましておめでとうございます。

まず、年内にクルミをすっておきます。

新年あけたら雑煮につけて食べます。

我が家は宮古と京都の文化が入り混じった雑煮です。




2014年9月2日火曜日

兵庫上映 in 丹波篠山・まちなみアートフェスティバル

2014年9月13(土)~15日(月祝)、18日(木)〜23日(火祝)の9日間(9月16日と17日は休館)丹波篠山で開催される「まちなみアートフェスティバル」で映画「波あとの明かし」が上映されます。

上映日は9月15日(月祝)、場所は観音寺さんです。
(上映は9月15日のみとなります)

丹波篠山・まちなみアートフェスティバルとは?
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丹波篠山河原町妻入商家群、約30軒の町屋を舞台に、造形・彫刻・絵画・陶芸などの芸術作品を展示します。
 「丹波の國」・地元ゆかりの作家を中心に44人が参加。ギャラリートークやワークショップ、音楽なども合わせて 城下町の風情とともに楽しめる催しです。


<会場>
観音寺(兵庫県篠山市河原町165)

<スケジュール>
2014年9月15日(月祝)
13:00~14:30 一回目「波あとの明かし」上映
14:40~15:10 坂下清監督によるトーク
15:20~16:50 二回目「波あとの明かし」上映

<料金>
一般1,000円、中学生以下無料。
*前売券の販売はありません。 
*予約は不要です。

<アクセス>
電車でお越しの場合
JR福知山線、篠山口駅下車、 西口より神姫バス(篠山営業所行き)本篠山バス停下車すぐ

車でお越しの場合
高速道路、舞鶴若狭自動車道、丹南・篠山口インターおりて 一般道を左方向(東)へ約10分

http://sasayama-art.com/2012map.htm

<お問い合わせ>
丹波篠山・まちなみアートフェスティバル実行委員会事務局

2014年3月7日金曜日

2014年3月7日朝日新聞朝刊

2014年3月7日の朝日新聞さんの朝刊に映画「波あとの明かし」の記事を掲載して頂きました。




2014年2月18日火曜日

2014年3月9日 京都上映会

河二ホール

1回目 10:30~12:00
2回目 13:30~15:00
※各回上映終了後、監督のトーク

料金:前売券1,000円(当日1,300円)

座席数:50席
(前売りが完売した場合、当日券は販売致しません)

チケットご予約・お問い合わせ
京都映画センター
075-256-1707
(平日10:00~17:00)
http://www.kyoto-eigacenter.com/info.html

主催:宮古と"京の都"を映画で繋ぐ会
場所
河二ホール
二条通河原町西入る南側・河二ガレージビル8階
京都市中京区河原町二条西入榎木町87

アクセス
京都市営地下鉄東西線「京都市役所前駅」3番出口を出て北へ、一つ目の信号(河原町二条)を西側に渡る。
コンビニの西隣のビルの8階。
(JR「京都駅」より地下鉄烏丸線「烏丸御池駅」で地下鉄東西線に乗換、「京都市役所前駅」下車)

2014年3月8日 盛岡上映会

岩手県立図書館 ミニシアター

14:00~15:30
(13:30開場)

料金:無料
定員:73名(当日先着順、満席になり次第締め切り)
車いす可。スロープの設置あり。

http://www.library.pref.iwate.jp/info/evecale/event/20140308_eiganamiato.html


お問い合わせ
岩手県立図書館
019-606-1730
http://www.library.pref.iwate.jp/index.html

主催:岩手県立図書館
会場
岩手県立図書館 ミニシアター
岩手県盛岡市盛岡駅西通一丁目7番1号
いわて県民情報交流センター「アイーナ」4階


アクセス
盛岡駅から徒歩4分(東西自由通路経由(さんさこみち)または地下自由通路経由)

2014年2月15日土曜日

2/23のチラシ

2月23日、宮古市立図書館上映分のチラシができました。
宮古市内各所に設置されております。





2014年1月23日木曜日

インド


サロード修行、インド旅から帰還した小鯖。


「弦が25本もある。その3/2は使わねえ弦。すげえしんどい楽器を選んでしまった〜。」


どういう楽器なんだ。

2013年9月13日金曜日

映画の告知

上映の1ヶ月前となりましたので、再度告知致します。

映画「波あとの明かし」
岩手県宮古市の風習"松明かし"を探るドキュメンタリー作品
大阪上映会inシアターセブン
http://gutzphoto.p2.weblife.me/namiato/

大阪市淀川区十三本町1-7-27サンポードシティ5階
淀川文化創造館Theater Seven
http://www.theater-seven.com/

10/13 1回目上映13:00~15:00 2回目上映16:00~18:00
10/14 14:00~16:00

料金は一般1.500円、入場券は当日券のみ、全席自由席、入場券の販売は各回の上映1時間前より行います。
入場券事前予約も承っております。詳細は下記リンクをご覧下さい
http://gutzphoto.p2.weblife.me/namiato/theater.html


現在、鋭意編集中です。スレッショルド、レシオ、などという聞き慣れない単語に今更ながら翻弄されてます。





2012年4月8日日曜日

イットギマ

祖母永眠。97歳でした。






火葬に立ち会うことはできず、葬儀にだけ出席。







母は僕に会うなり、



「凄くキレイだったがや(遺体が)」




と嬉しそうに語る。





・・・。






祖母は元気だったときは毎年、畑でじゃがいも、大根、白菜、ネギ、食用菊を畑で毎年育てていた。





夏になれば僕はじゃがいも掘りに借り出されていた。






葡萄酒というよくわからない飲み物を作り、
舌が痺れるほどしょっぱい梅干しを漬けて、
お彼岸には大量のまんじゅうを作ってくれた。






葬儀で、祖母が生まれてから亡くなるまでの生い立ちをお坊さんが読み上げる。







第二次大戦、満州国、ラサ工業。







山崎豊子原作でいけそうな内容だった。







祖母がよく、





「なあに、イットギマだが。」






と言っていたことを思い出した。






イットギマ、とは、
「一時の間(いっときのま)」、ほんの一瞬、という言葉が宮古訛りになったもの。





暑いなかじゃがいも掘りでしんどいのもイットギマ。





宿題するのもイットギマ。





戦火を逃れ疎開するのもイットギマ。








苦しい、辛い、めんどくさいことなど、一時耐えればあっという間に過ぎ去る。







とてもいい言葉を教えてもらったなと思います。








戒名に祖父の名前が一字入っていました。なんだか幸せな気分になりました。









体が異常に柔らかくて、握力がすげー強い祖母。








安らかにお眠りください。


ありがとうございました。

2012年3月13日火曜日

震災のときのことを思い出す

娘を抱っこして黙祷しました。

サイレンの音にビックリする娘。


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2011年



仕事を終え長岡天神の駅に着いたときに嫁からメールが来る。
「東北の方で地震があったみたいよ。東京方面も。」
ふうん。

まあ、ひとまずメールしておくか。

宮古にすんでる友人に片っ端からメール。
東京の小鯖にも一応メール。

バスを待っていると、五十嵐からメールの返信が来た。

3/11 15:19
「とりあえず無事、これから津波が来そうだ、すっげー潮が
引いでる。つうが、来た!」


というもの。
五十嵐以外の友人からの返信はなかったが、とりあえず大丈夫だろ。
金曜の昼だし、すぐに返信はできないだけで。


バスに乗り、家でテレビを観ながら遅めの昼食。

どっかの港の映像が流れている。
市場みたいなところ。

おお、どんどん波がきてるぞ。
ありゃりゃりゃ、なんだなんだやばいなこりゃ。

あれ?これ、宮古じゃねえのが?



まあ、五十嵐から返信きてたし、大丈夫大丈夫。



結婚を機に親との確執が生まれ、家と連絡を取ることは
しなかった。

夜、テレビが報道一色になっていく。

事の大きさに気がつく。誰に電話してもつながらない。

嫁「家に連絡したら?」


渋々、連絡してみるが、案の定つながらない。


仙台にいる長男に連絡してみる。
繋がったが、「生きている、充電が無くなるから切る」
とすぐに切られた。
長男は若林区に住んでいたため、直撃だったようだ。
よく生きてたなと思う。

次男に連絡。
横浜で帰宅難民中。
次男「父さんと母さんは消防署に避難している・・・ザザ。
だから大丈夫・・・ザザ。」

語尾がよく聞き取れないが、家もとりあえず無事だったか。
よかった。


3/12

テレビで南三陸町、若林区、気仙沼、が映り、血の気が引く。

ツイッターを始め、宮古の情報を集める。

恐ろしく情報が入ってくるようになる。

宮古の誰とも連絡がつかない。

3/13

ザ・めしやで号泣する。

友人知人たちはどうしているだろうと思いながら、
目の前に並ぶ食料を見て、どうしたらいいかわからなくなった。

長男から入電。
「家と連絡がつかないが、どうやって安否確認した?」

次男から聞いただけ、オレもまだ連絡はとれてない。

長男「次男にどうやって連絡したか聞いてくれ」

次男「連絡はとれてないよ。」

ええ!?

消防署に避難してるってのは?

次男「ああ、避難しているだろう。多分、大丈夫だろう」

よく聞き取れなかったザザーの部分は「だろう」という言葉だった。

いろんな感情が込み上げたが電話を切った。




3/14

両親の安否確認に奔走する。

山口小学校に行けば携帯が通じる、もしくはauなら繋がる、
という情報をを得る。
どうやって伝えたら良いかわからん。

お隣さんに1つ上の幼なじみが住んでいた。
商業に行ったいっこ上の先輩。

その人にどうにか連絡をとれれば。

mixi同級生で探そうと思ったら、一度登録した高校は変更できない。

小鯖にそれを話したら、

小鯖「mixi、一回、退会すればいいだげだべ。」

このとき、宮古高校の人に片っ端から申請していたので
結構なマイミクの人数になっていた。

退会?そんなことできるか!


小鯖「違う、オレが退会すんだ。」


というわけで小鯖はmixiを一度退会し、宮古商業のいっこ上の
先輩になってくれた。

さすがに小鯖に抱かれても良いと思った。

しかし、結局幼なじみはみつからなかった。


3/15

友人から「宮古の親戚がおめえの母さんに会ったって言ってた。
だから大丈夫だ。」とメールが入る。


その2時間後、母親から電話がくる。


母「いま山口小学校だ。ここは電話が繋がるって聞いで。
長男が死んだかもしれない、若林区に住んでる、多分死んでる。
テレビで若林区が映った。ありゃダメだ。」


落ち着け、長男は無事だ。連絡とってる。


母「あ、ああ、そうか。よがった。ああ、よがった。
宮古はえれえごどになってだがや。父さんの実家のある田老は壊滅だ。
大沢のおばちゃんと連絡がとれねえ、ネットでどうにがさがしてけろ。
食べ物が無くなりそうだ、米と食料送ってくれ。」


わがった。が、道路が寸断されてるから、ヤマトも佐川も無理らしい。
送れるようになったら送る。DORAは開店してるらしいぞ。


母「車も道路もダメだがら、とにかく町中に徒歩の人が溢れてる。
店に行ってもモノがあんまり買えねえ。疲れるだげだがら外にはでてねえ。」



この日、宮古の友人たちと連絡がとれて一安心する。

五十嵐はオレからメールが来たとき、仕事で藤の川にいた。
オレへのメールを書いているうちにどんどん波がきて、
返信した1秒後にはダッシュしなければならない状況。
藤の川からすぐ見える山によじ上って避難したらしい。




どうしても連絡がつかない友人が2人いた。


    2011年6月14日火曜日

    津軽石 〜堀内〜

    馬根宅へ赴く。





    馬根母と馬根祖父に御挨拶。






    学生時代は散々迷惑をかけた馬根家族。







    一階は浸水し、飼っていた犬が亡くなったとのこと。





    リビングのフローリングを新しくしたそうだ。





    離れの扉は外れたままになっていた。






    玄関の前で皆さんで写真を撮ったのだが、組み合わせが無茶苦茶なのでupは控える。






    お別れした後、少し歩く。






    いつもここに来るときは夜だったのでわからなかったが、公園がある。






    海沿いなので思いっきり被災したであろう、フェンスがなぎ倒されている。







    そのフェンスの間からタンポポが咲いていた。





    溝の水が溢れ出てできた水たまりにはオタマジャクシがいた。








    僕が宮古で見て回ることができたのはこの堀内の公園が最後だった。







    ここを見ることができてよかった気がする。







    今回、宮古に帰って、時間の許す限り、回って写真を撮った。





    写真をやるものとしての習性のようなものが働くので、撮る写真、撮るべき写真というものの線引きが難しかった。





    そのことについてはまだ答えは出てない。






    被災地。






    残酷な光景が多かった。






    自分の産まれ育った土地。





    その反面、写真を撮る者としての血が騒ぐ。






    「もっと踏み込んで、もっと悲惨な、もっと酷い写真を撮りたい。」





    そんな声が聞こえる。





    目の前にはいくらでも残酷な被写体がある。






    木に引っかかったままの衣服。






    波に漂うベビーカー。





    瓦礫の中から顔を出すぬいぐるみ。








    僕が宮古出身じゃなかったら迷わず撮っていただろう。






    撮った写真の倍以上、撮らなかった写真が多い。撮らなかった写真って何だ?






    写真を撮らないことが正解かどうかはわかりませんが、後悔はない。









    どんど晴れ。

    白浜

    小鯖んちに赴く。






    「おらんちは大丈夫だった。」






    とか言うから、ふーん、そうか。と思っていたら。家のギリギリのあたりまで何も無くなっていた。







    何も無くなってしまったエリアには友人の家があった。






    いつも犬を散歩していた。





    元気だろうか。






    そういえば震災後は宮古で犬や猫を全く見かけなかった。





    砂に犬らしき足跡。









    白浜にあった船は一隻も無く、陸に上げられていた。


















    牡蠣のカラか。養殖の施設も壊滅してしまった。










    白浜には何かしらで遊びにきていた。





    小笠原サイダー飲んだ駄菓子屋もなくなった。





    そん時の写真。撮っておいてよかった。

























    小鯖「おめえが撮った白浜の写真、たまに見でるよ」






    なんだか、使命感のようなものを感じる。





    撮らなきゃないんだな。





    これからも。

    2011年6月13日月曜日

    宮古温泉マース

    マース、宮古の人なら一度は親と行くであろう場所。









    すぐ海の見える場所に建っているため、見る影も無い。










    2階建ての建物は鉄骨のみに、更にその鉄骨にブイがひっかかっている。
    この高さまで浸かったということか・・・。







    マースの駐車場だった場所に大量の車。










    撮影していて気がつく。
    駐車場に止まっていた車ではなく、町から撤去され、ここに集められた車だということに。
    壊れ方が尋常じゃない。この中で亡くなった方もいるだろう。













    陸前高田の高田松原ほど有名じゃないけど、元マースに残された一本松。