引っ越しに際してネットがいつどうなるかわからない。
いま、段ボールに囲まれてパソコンをコチコチしてます。
書けるうちに書きたいこと書いときます。
宮古を離れて10年以上経ちました。
現在、京都府に住んでいます。
関西に来て、
「なんで東京通り越して、関西まで来たの?」
と、よく聞かれます。
1万回は聞かれたと思います。
で、2万回は適当に答えました。
なんか、その答えが少し見えた気がしています。
---------------------
高校時代はバレー部に所属してたのですが、先輩が大っ嫌いで(先輩もおれのこと嫌いだったんだろうな)
1年の途中から行かなくなりました。
退部届も出さないまま。
2年になって、バレー部の顧問が変わりました。
人間関係を把握できてない新顧問(トンビとあだ名で呼ばれてた)は、
「辞めるなら辞める、辞めないなら来る。はい、退部願い。書いて。」
ピャピャっと書きました。
で、しばらくどこのクラブにも所属しませんでした。
2年の時の担任に、
「お前は素行も悪い、勉強もできない、委員会、生徒会もやってない。せめてクラブには入れ」」
と会うたびに言われました。
めんどくさいので入りませんでした。当時、スパーでバイトしてたんで。
「活動しなくてもいいから、所属だけしろ」
といわれました。廊下で。それが写真部の部室の前でした。(生物室の付近)
嘘みたいだけど。ほんとだよ。
「じゃあ、写真部にはいります。それでいいですか?」
で入部。
何ヶ月かして放課後、クラスの前に小柄な老人が立っていました。
齢、50~55といったところでしょうか。
写真部の顧問だと名乗るその人物に、
「写真の大会がある。カメラを貸す、なんでもいいから撮ってプリントしてだせ。それだけでいい。」
それで、がんばって活動してくれてることにしてくれるとその老人がいうので撮った。
バスケ部の所に行って、なんとなく友人が談笑してるところを。(マイミクのhanaちゃんを)
しばらくするとまた廊下に老人が立っている。
「お前がこの間撮った写真を大会に出した。賞に入ったぞ」
ふ~ん。なんか意図しないとこで面白いことになったなと思った。
そんなこんなが続き、結局、高文祭(高総大の文化部バージョン)では最優秀賞。
全国大会行きを果たした。(野球部なら甲子園、ラグビー部なら花園クラス)
僕らの年のラグビー部は強かったから花園まで行った。
正門のところに全国大会に行ったクラブの垂幕が出る。
「ラグビー部 花園出場!」
その横に「写真部 全国大会出場!」があったことを知る宮高生はほとんどいないだろう。
畜生。
だらだら遊んでいて進路もろくに決めていなかったが、3年の11月くらいに、
「そうだ、芸大なら入れるのでは?」
なにをトチ狂ったか、ふと思いつき、進路相談へ。
運が良かったことにその年から一芸入試というのが始まったところだった。
デッサン、色彩構成などを受けることなく、一芸に秀でていれば入学できるというやつ。
入試の日程を調べてみたらほとんど終わってら。
3年の11月に思いついたんだから遅すぎる。
で、まだ受け付けてたのが京都の短大。
当時、親が58で2年しか無理って言われていたので、ああここだ、ここしかないと。
以上。
こんな理由。
胸を張って言える話ではない。
結果論にすぎないと言われればそれまでかもしれないが、
関西でいい人たちに会うことができて幸せだと思っています。
阪神大震災を経験した皆さんはいま、僕のことを支えてくれています。
滋賀、京都、大阪、兵庫、奈良はもちろん、三重、岡山、島根、福岡、熊本。
西日本全域に友人がいます。
宮古を離れて、ずっと心細かった気持ちがありましたが、今はそれがありません。
関西も宮古も、僕の地元です。
「なんで東京を通り越して、関西に来たの?」
と次に言われる機会があったら。
「地元だから。」
と答えます。
明日は引っ越しです。新居はネットがまだひかれてません。
日記は書けないかもしれないですが、宮古の情報をつぶやき続けます。
すこしでも、誰かの役に立つ情報が、誰かに届けばと思います。
最後まで読んでくれた人、ありがとう。
みんなが
やすらぐ
このまち宮古、関西。
いま、段ボールに囲まれてパソコンをコチコチしてます。
書けるうちに書きたいこと書いときます。
宮古を離れて10年以上経ちました。
現在、京都府に住んでいます。
関西に来て、
「なんで東京通り越して、関西まで来たの?」
と、よく聞かれます。
1万回は聞かれたと思います。
で、2万回は適当に答えました。
なんか、その答えが少し見えた気がしています。
---------------------
高校時代はバレー部に所属してたのですが、先輩が大っ嫌いで(先輩もおれのこと嫌いだったんだろうな)
1年の途中から行かなくなりました。
退部届も出さないまま。
2年になって、バレー部の顧問が変わりました。
人間関係を把握できてない新顧問(トンビとあだ名で呼ばれてた)は、
「辞めるなら辞める、辞めないなら来る。はい、退部願い。書いて。」
ピャピャっと書きました。
で、しばらくどこのクラブにも所属しませんでした。
2年の時の担任に、
「お前は素行も悪い、勉強もできない、委員会、生徒会もやってない。せめてクラブには入れ」」
と会うたびに言われました。
めんどくさいので入りませんでした。当時、スパーでバイトしてたんで。
「活動しなくてもいいから、所属だけしろ」
といわれました。廊下で。それが写真部の部室の前でした。(生物室の付近)
嘘みたいだけど。ほんとだよ。
「じゃあ、写真部にはいります。それでいいですか?」
で入部。
何ヶ月かして放課後、クラスの前に小柄な老人が立っていました。
齢、50~55といったところでしょうか。
写真部の顧問だと名乗るその人物に、
「写真の大会がある。カメラを貸す、なんでもいいから撮ってプリントしてだせ。それだけでいい。」
それで、がんばって活動してくれてることにしてくれるとその老人がいうので撮った。
バスケ部の所に行って、なんとなく友人が談笑してるところを。(マイミクのhanaちゃんを)
しばらくするとまた廊下に老人が立っている。
「お前がこの間撮った写真を大会に出した。賞に入ったぞ」
ふ~ん。なんか意図しないとこで面白いことになったなと思った。
そんなこんなが続き、結局、高文祭(高総大の文化部バージョン)では最優秀賞。
全国大会行きを果たした。(野球部なら甲子園、ラグビー部なら花園クラス)
僕らの年のラグビー部は強かったから花園まで行った。
正門のところに全国大会に行ったクラブの垂幕が出る。
「ラグビー部 花園出場!」
その横に「写真部 全国大会出場!」があったことを知る宮高生はほとんどいないだろう。
畜生。
だらだら遊んでいて進路もろくに決めていなかったが、3年の11月くらいに、
「そうだ、芸大なら入れるのでは?」
なにをトチ狂ったか、ふと思いつき、進路相談へ。
運が良かったことにその年から一芸入試というのが始まったところだった。
デッサン、色彩構成などを受けることなく、一芸に秀でていれば入学できるというやつ。
入試の日程を調べてみたらほとんど終わってら。
3年の11月に思いついたんだから遅すぎる。
で、まだ受け付けてたのが京都の短大。
当時、親が58で2年しか無理って言われていたので、ああここだ、ここしかないと。
以上。
こんな理由。
胸を張って言える話ではない。
結果論にすぎないと言われればそれまでかもしれないが、
関西でいい人たちに会うことができて幸せだと思っています。
阪神大震災を経験した皆さんはいま、僕のことを支えてくれています。
滋賀、京都、大阪、兵庫、奈良はもちろん、三重、岡山、島根、福岡、熊本。
西日本全域に友人がいます。
宮古を離れて、ずっと心細かった気持ちがありましたが、今はそれがありません。
関西も宮古も、僕の地元です。
「なんで東京を通り越して、関西に来たの?」
と次に言われる機会があったら。
「地元だから。」
と答えます。
明日は引っ越しです。新居はネットがまだひかれてません。
日記は書けないかもしれないですが、宮古の情報をつぶやき続けます。
すこしでも、誰かの役に立つ情報が、誰かに届けばと思います。
最後まで読んでくれた人、ありがとう。
みんなが
やすらぐ
このまち宮古、関西。

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