長岡天満宮にお花見に行きました。
最近、娘は砂利が好きで、砂利をつかんでは投げて遊びます。
桜よりも砂利で遊びたい、という顔です。
2012年4月8日日曜日
イットギマ
祖母永眠。97歳でした。
火葬に立ち会うことはできず、葬儀にだけ出席。
母は僕に会うなり、
「凄くキレイだったがや(遺体が)」
と嬉しそうに語る。
・・・。
祖母は元気だったときは毎年、畑でじゃがいも、大根、白菜、ネギ、食用菊を畑で毎年育てていた。
夏になれば僕はじゃがいも掘りに借り出されていた。
葡萄酒というよくわからない飲み物を作り、
舌が痺れるほどしょっぱい梅干しを漬けて、
お彼岸には大量のまんじゅうを作ってくれた。
葬儀で、祖母が生まれてから亡くなるまでの生い立ちをお坊さんが読み上げる。
第二次大戦、満州国、ラサ工業。
山崎豊子原作でいけそうな内容だった。
祖母がよく、
「なあに、イットギマだが。」
と言っていたことを思い出した。
イットギマ、とは、
「一時の間(いっときのま)」、ほんの一瞬、という言葉が宮古訛りになったもの。
暑いなかじゃがいも掘りでしんどいのもイットギマ。
宿題するのもイットギマ。
戦火を逃れ疎開するのもイットギマ。
苦しい、辛い、めんどくさいことなど、一時耐えればあっという間に過ぎ去る。
とてもいい言葉を教えてもらったなと思います。
戒名に祖父の名前が一字入っていました。なんだか幸せな気分になりました。
体が異常に柔らかくて、握力がすげー強い祖母。
安らかにお眠りください。
ありがとうございました。
火葬に立ち会うことはできず、葬儀にだけ出席。
母は僕に会うなり、
「凄くキレイだったがや(遺体が)」
と嬉しそうに語る。
・・・。
祖母は元気だったときは毎年、畑でじゃがいも、大根、白菜、ネギ、食用菊を畑で毎年育てていた。
夏になれば僕はじゃがいも掘りに借り出されていた。
葡萄酒というよくわからない飲み物を作り、
舌が痺れるほどしょっぱい梅干しを漬けて、
お彼岸には大量のまんじゅうを作ってくれた。
葬儀で、祖母が生まれてから亡くなるまでの生い立ちをお坊さんが読み上げる。
第二次大戦、満州国、ラサ工業。
山崎豊子原作でいけそうな内容だった。
祖母がよく、
「なあに、イットギマだが。」
と言っていたことを思い出した。
イットギマ、とは、
「一時の間(いっときのま)」、ほんの一瞬、という言葉が宮古訛りになったもの。
暑いなかじゃがいも掘りでしんどいのもイットギマ。
宿題するのもイットギマ。
戦火を逃れ疎開するのもイットギマ。
苦しい、辛い、めんどくさいことなど、一時耐えればあっという間に過ぎ去る。
とてもいい言葉を教えてもらったなと思います。
戒名に祖父の名前が一字入っていました。なんだか幸せな気分になりました。
体が異常に柔らかくて、握力がすげー強い祖母。
安らかにお眠りください。
ありがとうございました。
2012年3月25日日曜日
なまず
京都水族館がオープンしましたね。
今日は滋賀県立琵琶湖博物館のなかの水族館(?)を観にいってきました。
生きている魚を初めて見る娘。
娘は魚を見ると、
「どうしたの~?どうしたの~?」
と話しかけていました。
水の中でなにしてるの〜?という意味なんだと思います。
下の写真はなぎさ公園の菜の花畑です。
今日は滋賀県立琵琶湖博物館のなかの水族館(?)を観にいってきました。
生きている魚を初めて見る娘。
娘は魚を見ると、
「どうしたの~?どうしたの~?」
と話しかけていました。
水の中でなにしてるの〜?という意味なんだと思います。
下の写真はなぎさ公園の菜の花畑です。
2012年3月13日火曜日
震災のときのことを思い出す
娘を抱っこして黙祷しました。
サイレンの音にビックリする娘。
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2011年
仕事を終え長岡天神の駅に着いたときに嫁からメールが来る。
「東北の方で地震があったみたいよ。東京方面も。」
ふうん。
まあ、ひとまずメールしておくか。
宮古にすんでる友人に片っ端からメール。
東京の小鯖にも一応メール。
バスを待っていると、五十嵐からメールの返信が来た。
3/11 15:19
「とりあえず無事、これから津波が来そうだ、すっげー潮が
引いでる。つうが、来た!」
というもの。
五十嵐以外の友人からの返信はなかったが、とりあえず大丈夫だろ。
金曜の昼だし、すぐに返信はできないだけで。
バスに乗り、家でテレビを観ながら遅めの昼食。
どっかの港の映像が流れている。
市場みたいなところ。
おお、どんどん波がきてるぞ。
ありゃりゃりゃ、なんだなんだやばいなこりゃ。
あれ?これ、宮古じゃねえのが?
まあ、五十嵐から返信きてたし、大丈夫大丈夫。
結婚を機に親との確執が生まれ、家と連絡を取ることは
しなかった。
夜、テレビが報道一色になっていく。
事の大きさに気がつく。誰に電話してもつながらない。
嫁「家に連絡したら?」
渋々、連絡してみるが、案の定つながらない。
仙台にいる長男に連絡してみる。
繋がったが、「生きている、充電が無くなるから切る」
とすぐに切られた。
長男は若林区に住んでいたため、直撃だったようだ。
よく生きてたなと思う。
次男に連絡。
横浜で帰宅難民中。
次男「父さんと母さんは消防署に避難している・・・ザザ。
だから大丈夫・・・ザザ。」
語尾がよく聞き取れないが、家もとりあえず無事だったか。
よかった。
3/12
テレビで南三陸町、若林区、気仙沼、が映り、血の気が引く。
ツイッターを始め、宮古の情報を集める。
恐ろしく情報が入ってくるようになる。
宮古の誰とも連絡がつかない。
3/13
ザ・めしやで号泣する。
友人知人たちはどうしているだろうと思いながら、
目の前に並ぶ食料を見て、どうしたらいいかわからなくなった。
長男から入電。
「家と連絡がつかないが、どうやって安否確認した?」
次男から聞いただけ、オレもまだ連絡はとれてない。
長男「次男にどうやって連絡したか聞いてくれ」
次男「連絡はとれてないよ。」
ええ!?
消防署に避難してるってのは?
次男「ああ、避難しているだろう。多分、大丈夫だろう」
よく聞き取れなかったザザーの部分は「だろう」という言葉だった。
いろんな感情が込み上げたが電話を切った。
3/14
両親の安否確認に奔走する。
山口小学校に行けば携帯が通じる、もしくはauなら繋がる、
という情報をを得る。
どうやって伝えたら良いかわからん。
お隣さんに1つ上の幼なじみが住んでいた。
商業に行ったいっこ上の先輩。
その人にどうにか連絡をとれれば。
mixi同級生で探そうと思ったら、一度登録した高校は変更できない。
小鯖にそれを話したら、
小鯖「mixi、一回、退会すればいいだげだべ。」
このとき、宮古高校の人に片っ端から申請していたので
結構なマイミクの人数になっていた。
退会?そんなことできるか!
小鯖「違う、オレが退会すんだ。」
というわけで小鯖はmixiを一度退会し、宮古商業のいっこ上の
先輩になってくれた。
さすがに小鯖に抱かれても良いと思った。
しかし、結局幼なじみはみつからなかった。
3/15
友人から「宮古の親戚がおめえの母さんに会ったって言ってた。
だから大丈夫だ。」とメールが入る。
その2時間後、母親から電話がくる。
母「いま山口小学校だ。ここは電話が繋がるって聞いで。
長男が死んだかもしれない、若林区に住んでる、多分死んでる。
テレビで若林区が映った。ありゃダメだ。」
落ち着け、長男は無事だ。連絡とってる。
母「あ、ああ、そうか。よがった。ああ、よがった。
宮古はえれえごどになってだがや。父さんの実家のある田老は壊滅だ。
大沢のおばちゃんと連絡がとれねえ、ネットでどうにがさがしてけろ。
食べ物が無くなりそうだ、米と食料送ってくれ。」
わがった。が、道路が寸断されてるから、ヤマトも佐川も無理らしい。
送れるようになったら送る。DORAは開店してるらしいぞ。
母「車も道路もダメだがら、とにかく町中に徒歩の人が溢れてる。
店に行ってもモノがあんまり買えねえ。疲れるだげだがら外にはでてねえ。」
この日、宮古の友人たちと連絡がとれて一安心する。
五十嵐はオレからメールが来たとき、仕事で藤の川にいた。
オレへのメールを書いているうちにどんどん波がきて、
返信した1秒後にはダッシュしなければならない状況。
藤の川からすぐ見える山によじ上って避難したらしい。
どうしても連絡がつかない友人が2人いた。
サイレンの音にビックリする娘。
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2011年
仕事を終え長岡天神の駅に着いたときに嫁からメールが来る。
「東北の方で地震があったみたいよ。東京方面も。」
ふうん。
まあ、ひとまずメールしておくか。
宮古にすんでる友人に片っ端からメール。
東京の小鯖にも一応メール。
バスを待っていると、五十嵐からメールの返信が来た。
3/11 15:19
「とりあえず無事、これから津波が来そうだ、すっげー潮が
引いでる。つうが、来た!」
というもの。
五十嵐以外の友人からの返信はなかったが、とりあえず大丈夫だろ。
金曜の昼だし、すぐに返信はできないだけで。
バスに乗り、家でテレビを観ながら遅めの昼食。
どっかの港の映像が流れている。
市場みたいなところ。
おお、どんどん波がきてるぞ。
ありゃりゃりゃ、なんだなんだやばいなこりゃ。
あれ?これ、宮古じゃねえのが?
まあ、五十嵐から返信きてたし、大丈夫大丈夫。
結婚を機に親との確執が生まれ、家と連絡を取ることは
しなかった。
夜、テレビが報道一色になっていく。
事の大きさに気がつく。誰に電話してもつながらない。
嫁「家に連絡したら?」
渋々、連絡してみるが、案の定つながらない。
仙台にいる長男に連絡してみる。
繋がったが、「生きている、充電が無くなるから切る」
とすぐに切られた。
長男は若林区に住んでいたため、直撃だったようだ。
よく生きてたなと思う。
次男に連絡。
横浜で帰宅難民中。
次男「父さんと母さんは消防署に避難している・・・ザザ。
だから大丈夫・・・ザザ。」
語尾がよく聞き取れないが、家もとりあえず無事だったか。
よかった。
3/12
テレビで南三陸町、若林区、気仙沼、が映り、血の気が引く。
ツイッターを始め、宮古の情報を集める。
恐ろしく情報が入ってくるようになる。
宮古の誰とも連絡がつかない。
3/13
ザ・めしやで号泣する。
友人知人たちはどうしているだろうと思いながら、
目の前に並ぶ食料を見て、どうしたらいいかわからなくなった。
長男から入電。
「家と連絡がつかないが、どうやって安否確認した?」
次男から聞いただけ、オレもまだ連絡はとれてない。
長男「次男にどうやって連絡したか聞いてくれ」
次男「連絡はとれてないよ。」
ええ!?
消防署に避難してるってのは?
次男「ああ、避難しているだろう。多分、大丈夫だろう」
よく聞き取れなかったザザーの部分は「だろう」という言葉だった。
いろんな感情が込み上げたが電話を切った。
3/14
両親の安否確認に奔走する。
山口小学校に行けば携帯が通じる、もしくはauなら繋がる、
という情報をを得る。
どうやって伝えたら良いかわからん。
お隣さんに1つ上の幼なじみが住んでいた。
商業に行ったいっこ上の先輩。
その人にどうにか連絡をとれれば。
mixi同級生で探そうと思ったら、一度登録した高校は変更できない。
小鯖にそれを話したら、
小鯖「mixi、一回、退会すればいいだげだべ。」
このとき、宮古高校の人に片っ端から申請していたので
結構なマイミクの人数になっていた。
退会?そんなことできるか!
小鯖「違う、オレが退会すんだ。」
というわけで小鯖はmixiを一度退会し、宮古商業のいっこ上の
先輩になってくれた。
さすがに小鯖に抱かれても良いと思った。
しかし、結局幼なじみはみつからなかった。
3/15
友人から「宮古の親戚がおめえの母さんに会ったって言ってた。
だから大丈夫だ。」とメールが入る。
その2時間後、母親から電話がくる。
母「いま山口小学校だ。ここは電話が繋がるって聞いで。
長男が死んだかもしれない、若林区に住んでる、多分死んでる。
テレビで若林区が映った。ありゃダメだ。」
落ち着け、長男は無事だ。連絡とってる。
母「あ、ああ、そうか。よがった。ああ、よがった。
宮古はえれえごどになってだがや。父さんの実家のある田老は壊滅だ。
大沢のおばちゃんと連絡がとれねえ、ネットでどうにがさがしてけろ。
食べ物が無くなりそうだ、米と食料送ってくれ。」
わがった。が、道路が寸断されてるから、ヤマトも佐川も無理らしい。
送れるようになったら送る。DORAは開店してるらしいぞ。
母「車も道路もダメだがら、とにかく町中に徒歩の人が溢れてる。
店に行ってもモノがあんまり買えねえ。疲れるだげだがら外にはでてねえ。」
この日、宮古の友人たちと連絡がとれて一安心する。
五十嵐はオレからメールが来たとき、仕事で藤の川にいた。
オレへのメールを書いているうちにどんどん波がきて、
返信した1秒後にはダッシュしなければならない状況。
藤の川からすぐ見える山によじ上って避難したらしい。
どうしても連絡がつかない友人が2人いた。
2011年11月8日火曜日
2011年11月1日火曜日
坂下清写真展「藍の手」
写真展開催しております。
http://shinsaibashi-noh.jp/event/littlemuseum/index.php/20111101/#content_wrap
坂下清写真展「藍の手」
http://shinsaibashi-noh.jp/event/littlemuseum/index.php/20111101/#content_wrap
坂下清写真展「藍の手」
■会期:2011年11月1日(火)〜29日(火)11:00‒18:00
■会場:ニューオーサカホテル心斎橋 1F ロビー
〒542-0086 大阪市中央区西心斎橋1丁目10-36
Tel:06-6121-5555 Fax:06-6121-5556
地下鉄御堂筋線 心斎橋駅8番出口より徒歩3分
地下鉄四つ橋線 四ツ橋駅3番出口より徒歩5分
宜しくお願い致します。
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