京都水族館がオープンしましたね。
今日は滋賀県立琵琶湖博物館のなかの水族館(?)を観にいってきました。
生きている魚を初めて見る娘。
娘は魚を見ると、
「どうしたの~?どうしたの~?」
と話しかけていました。
水の中でなにしてるの〜?という意味なんだと思います。
下の写真はなぎさ公園の菜の花畑です。
2012年3月25日日曜日
2012年3月13日火曜日
震災のときのことを思い出す
娘を抱っこして黙祷しました。
サイレンの音にビックリする娘。
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2011年
仕事を終え長岡天神の駅に着いたときに嫁からメールが来る。
「東北の方で地震があったみたいよ。東京方面も。」
ふうん。
まあ、ひとまずメールしておくか。
宮古にすんでる友人に片っ端からメール。
東京の小鯖にも一応メール。
バスを待っていると、五十嵐からメールの返信が来た。
3/11 15:19
「とりあえず無事、これから津波が来そうだ、すっげー潮が
引いでる。つうが、来た!」
というもの。
五十嵐以外の友人からの返信はなかったが、とりあえず大丈夫だろ。
金曜の昼だし、すぐに返信はできないだけで。
バスに乗り、家でテレビを観ながら遅めの昼食。
どっかの港の映像が流れている。
市場みたいなところ。
おお、どんどん波がきてるぞ。
ありゃりゃりゃ、なんだなんだやばいなこりゃ。
あれ?これ、宮古じゃねえのが?
まあ、五十嵐から返信きてたし、大丈夫大丈夫。
結婚を機に親との確執が生まれ、家と連絡を取ることは
しなかった。
夜、テレビが報道一色になっていく。
事の大きさに気がつく。誰に電話してもつながらない。
嫁「家に連絡したら?」
渋々、連絡してみるが、案の定つながらない。
仙台にいる長男に連絡してみる。
繋がったが、「生きている、充電が無くなるから切る」
とすぐに切られた。
長男は若林区に住んでいたため、直撃だったようだ。
よく生きてたなと思う。
次男に連絡。
横浜で帰宅難民中。
次男「父さんと母さんは消防署に避難している・・・ザザ。
だから大丈夫・・・ザザ。」
語尾がよく聞き取れないが、家もとりあえず無事だったか。
よかった。
3/12
テレビで南三陸町、若林区、気仙沼、が映り、血の気が引く。
ツイッターを始め、宮古の情報を集める。
恐ろしく情報が入ってくるようになる。
宮古の誰とも連絡がつかない。
3/13
ザ・めしやで号泣する。
友人知人たちはどうしているだろうと思いながら、
目の前に並ぶ食料を見て、どうしたらいいかわからなくなった。
長男から入電。
「家と連絡がつかないが、どうやって安否確認した?」
次男から聞いただけ、オレもまだ連絡はとれてない。
長男「次男にどうやって連絡したか聞いてくれ」
次男「連絡はとれてないよ。」
ええ!?
消防署に避難してるってのは?
次男「ああ、避難しているだろう。多分、大丈夫だろう」
よく聞き取れなかったザザーの部分は「だろう」という言葉だった。
いろんな感情が込み上げたが電話を切った。
3/14
両親の安否確認に奔走する。
山口小学校に行けば携帯が通じる、もしくはauなら繋がる、
という情報をを得る。
どうやって伝えたら良いかわからん。
お隣さんに1つ上の幼なじみが住んでいた。
商業に行ったいっこ上の先輩。
その人にどうにか連絡をとれれば。
mixi同級生で探そうと思ったら、一度登録した高校は変更できない。
小鯖にそれを話したら、
小鯖「mixi、一回、退会すればいいだげだべ。」
このとき、宮古高校の人に片っ端から申請していたので
結構なマイミクの人数になっていた。
退会?そんなことできるか!
小鯖「違う、オレが退会すんだ。」
というわけで小鯖はmixiを一度退会し、宮古商業のいっこ上の
先輩になってくれた。
さすがに小鯖に抱かれても良いと思った。
しかし、結局幼なじみはみつからなかった。
3/15
友人から「宮古の親戚がおめえの母さんに会ったって言ってた。
だから大丈夫だ。」とメールが入る。
その2時間後、母親から電話がくる。
母「いま山口小学校だ。ここは電話が繋がるって聞いで。
長男が死んだかもしれない、若林区に住んでる、多分死んでる。
テレビで若林区が映った。ありゃダメだ。」
落ち着け、長男は無事だ。連絡とってる。
母「あ、ああ、そうか。よがった。ああ、よがった。
宮古はえれえごどになってだがや。父さんの実家のある田老は壊滅だ。
大沢のおばちゃんと連絡がとれねえ、ネットでどうにがさがしてけろ。
食べ物が無くなりそうだ、米と食料送ってくれ。」
わがった。が、道路が寸断されてるから、ヤマトも佐川も無理らしい。
送れるようになったら送る。DORAは開店してるらしいぞ。
母「車も道路もダメだがら、とにかく町中に徒歩の人が溢れてる。
店に行ってもモノがあんまり買えねえ。疲れるだげだがら外にはでてねえ。」
この日、宮古の友人たちと連絡がとれて一安心する。
五十嵐はオレからメールが来たとき、仕事で藤の川にいた。
オレへのメールを書いているうちにどんどん波がきて、
返信した1秒後にはダッシュしなければならない状況。
藤の川からすぐ見える山によじ上って避難したらしい。
どうしても連絡がつかない友人が2人いた。
サイレンの音にビックリする娘。
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2011年
仕事を終え長岡天神の駅に着いたときに嫁からメールが来る。
「東北の方で地震があったみたいよ。東京方面も。」
ふうん。
まあ、ひとまずメールしておくか。
宮古にすんでる友人に片っ端からメール。
東京の小鯖にも一応メール。
バスを待っていると、五十嵐からメールの返信が来た。
3/11 15:19
「とりあえず無事、これから津波が来そうだ、すっげー潮が
引いでる。つうが、来た!」
というもの。
五十嵐以外の友人からの返信はなかったが、とりあえず大丈夫だろ。
金曜の昼だし、すぐに返信はできないだけで。
バスに乗り、家でテレビを観ながら遅めの昼食。
どっかの港の映像が流れている。
市場みたいなところ。
おお、どんどん波がきてるぞ。
ありゃりゃりゃ、なんだなんだやばいなこりゃ。
あれ?これ、宮古じゃねえのが?
まあ、五十嵐から返信きてたし、大丈夫大丈夫。
結婚を機に親との確執が生まれ、家と連絡を取ることは
しなかった。
夜、テレビが報道一色になっていく。
事の大きさに気がつく。誰に電話してもつながらない。
嫁「家に連絡したら?」
渋々、連絡してみるが、案の定つながらない。
仙台にいる長男に連絡してみる。
繋がったが、「生きている、充電が無くなるから切る」
とすぐに切られた。
長男は若林区に住んでいたため、直撃だったようだ。
よく生きてたなと思う。
次男に連絡。
横浜で帰宅難民中。
次男「父さんと母さんは消防署に避難している・・・ザザ。
だから大丈夫・・・ザザ。」
語尾がよく聞き取れないが、家もとりあえず無事だったか。
よかった。
3/12
テレビで南三陸町、若林区、気仙沼、が映り、血の気が引く。
ツイッターを始め、宮古の情報を集める。
恐ろしく情報が入ってくるようになる。
宮古の誰とも連絡がつかない。
3/13
ザ・めしやで号泣する。
友人知人たちはどうしているだろうと思いながら、
目の前に並ぶ食料を見て、どうしたらいいかわからなくなった。
長男から入電。
「家と連絡がつかないが、どうやって安否確認した?」
次男から聞いただけ、オレもまだ連絡はとれてない。
長男「次男にどうやって連絡したか聞いてくれ」
次男「連絡はとれてないよ。」
ええ!?
消防署に避難してるってのは?
次男「ああ、避難しているだろう。多分、大丈夫だろう」
よく聞き取れなかったザザーの部分は「だろう」という言葉だった。
いろんな感情が込み上げたが電話を切った。
3/14
両親の安否確認に奔走する。
山口小学校に行けば携帯が通じる、もしくはauなら繋がる、
という情報をを得る。
どうやって伝えたら良いかわからん。
お隣さんに1つ上の幼なじみが住んでいた。
商業に行ったいっこ上の先輩。
その人にどうにか連絡をとれれば。
mixi同級生で探そうと思ったら、一度登録した高校は変更できない。
小鯖にそれを話したら、
小鯖「mixi、一回、退会すればいいだげだべ。」
このとき、宮古高校の人に片っ端から申請していたので
結構なマイミクの人数になっていた。
退会?そんなことできるか!
小鯖「違う、オレが退会すんだ。」
というわけで小鯖はmixiを一度退会し、宮古商業のいっこ上の
先輩になってくれた。
さすがに小鯖に抱かれても良いと思った。
しかし、結局幼なじみはみつからなかった。
3/15
友人から「宮古の親戚がおめえの母さんに会ったって言ってた。
だから大丈夫だ。」とメールが入る。
その2時間後、母親から電話がくる。
母「いま山口小学校だ。ここは電話が繋がるって聞いで。
長男が死んだかもしれない、若林区に住んでる、多分死んでる。
テレビで若林区が映った。ありゃダメだ。」
落ち着け、長男は無事だ。連絡とってる。
母「あ、ああ、そうか。よがった。ああ、よがった。
宮古はえれえごどになってだがや。父さんの実家のある田老は壊滅だ。
大沢のおばちゃんと連絡がとれねえ、ネットでどうにがさがしてけろ。
食べ物が無くなりそうだ、米と食料送ってくれ。」
わがった。が、道路が寸断されてるから、ヤマトも佐川も無理らしい。
送れるようになったら送る。DORAは開店してるらしいぞ。
母「車も道路もダメだがら、とにかく町中に徒歩の人が溢れてる。
店に行ってもモノがあんまり買えねえ。疲れるだげだがら外にはでてねえ。」
この日、宮古の友人たちと連絡がとれて一安心する。
五十嵐はオレからメールが来たとき、仕事で藤の川にいた。
オレへのメールを書いているうちにどんどん波がきて、
返信した1秒後にはダッシュしなければならない状況。
藤の川からすぐ見える山によじ上って避難したらしい。
どうしても連絡がつかない友人が2人いた。
2011年11月8日火曜日
2011年11月1日火曜日
坂下清写真展「藍の手」
写真展開催しております。
http://shinsaibashi-noh.jp/event/littlemuseum/index.php/20111101/#content_wrap
坂下清写真展「藍の手」
http://shinsaibashi-noh.jp/event/littlemuseum/index.php/20111101/#content_wrap
坂下清写真展「藍の手」
■会期:2011年11月1日(火)〜29日(火)11:00‒18:00
■会場:ニューオーサカホテル心斎橋 1F ロビー
〒542-0086 大阪市中央区西心斎橋1丁目10-36
Tel:06-6121-5555 Fax:06-6121-5556
地下鉄御堂筋線 心斎橋駅8番出口より徒歩3分
地下鉄四つ橋線 四ツ橋駅3番出口より徒歩5分
宜しくお願い致します。
2011年6月14日火曜日
津軽石 〜堀内〜
馬根宅へ赴く。
馬根母と馬根祖父に御挨拶。
学生時代は散々迷惑をかけた馬根家族。
一階は浸水し、飼っていた犬が亡くなったとのこと。
リビングのフローリングを新しくしたそうだ。
離れの扉は外れたままになっていた。
玄関の前で皆さんで写真を撮ったのだが、組み合わせが無茶苦茶なのでupは控える。
お別れした後、少し歩く。
いつもここに来るときは夜だったのでわからなかったが、公園がある。
海沿いなので思いっきり被災したであろう、フェンスがなぎ倒されている。
そのフェンスの間からタンポポが咲いていた。
溝の水が溢れ出てできた水たまりにはオタマジャクシがいた。
僕が宮古で見て回ることができたのはこの堀内の公園が最後だった。
ここを見ることができてよかった気がする。
今回、宮古に帰って、時間の許す限り、回って写真を撮った。
写真をやるものとしての習性のようなものが働くので、撮る写真、撮るべき写真というものの線引きが難しかった。
そのことについてはまだ答えは出てない。
被災地。
残酷な光景が多かった。
自分の産まれ育った土地。
その反面、写真を撮る者としての血が騒ぐ。
「もっと踏み込んで、もっと悲惨な、もっと酷い写真を撮りたい。」
そんな声が聞こえる。
目の前にはいくらでも残酷な被写体がある。
木に引っかかったままの衣服。
波に漂うベビーカー。
瓦礫の中から顔を出すぬいぐるみ。
僕が宮古出身じゃなかったら迷わず撮っていただろう。
撮った写真の倍以上、撮らなかった写真が多い。撮らなかった写真って何だ?
写真を撮らないことが正解かどうかはわかりませんが、後悔はない。
どんど晴れ。
馬根母と馬根祖父に御挨拶。
学生時代は散々迷惑をかけた馬根家族。
一階は浸水し、飼っていた犬が亡くなったとのこと。
リビングのフローリングを新しくしたそうだ。
離れの扉は外れたままになっていた。
玄関の前で皆さんで写真を撮ったのだが、組み合わせが無茶苦茶なのでupは控える。
お別れした後、少し歩く。
いつもここに来るときは夜だったのでわからなかったが、公園がある。
海沿いなので思いっきり被災したであろう、フェンスがなぎ倒されている。
そのフェンスの間からタンポポが咲いていた。
溝の水が溢れ出てできた水たまりにはオタマジャクシがいた。
僕が宮古で見て回ることができたのはこの堀内の公園が最後だった。
ここを見ることができてよかった気がする。
今回、宮古に帰って、時間の許す限り、回って写真を撮った。
写真をやるものとしての習性のようなものが働くので、撮る写真、撮るべき写真というものの線引きが難しかった。
そのことについてはまだ答えは出てない。
被災地。
残酷な光景が多かった。
自分の産まれ育った土地。
その反面、写真を撮る者としての血が騒ぐ。
「もっと踏み込んで、もっと悲惨な、もっと酷い写真を撮りたい。」
そんな声が聞こえる。
目の前にはいくらでも残酷な被写体がある。
木に引っかかったままの衣服。
波に漂うベビーカー。
瓦礫の中から顔を出すぬいぐるみ。
僕が宮古出身じゃなかったら迷わず撮っていただろう。
撮った写真の倍以上、撮らなかった写真が多い。撮らなかった写真って何だ?
写真を撮らないことが正解かどうかはわかりませんが、後悔はない。
どんど晴れ。
白浜
小鯖んちに赴く。
「おらんちは大丈夫だった。」
とか言うから、ふーん、そうか。と思っていたら。家のギリギリのあたりまで何も無くなっていた。
何も無くなってしまったエリアには友人の家があった。
白浜にあった船は一隻も無く、陸に上げられていた。
牡蠣のカラか。養殖の施設も壊滅してしまった。
白浜には何かしらで遊びにきていた。
小笠原サイダー飲んだ駄菓子屋もなくなった。
そん時の写真。撮っておいてよかった。
小鯖「おめえが撮った白浜の写真、たまに見でるよ」
なんだか、使命感のようなものを感じる。
撮らなきゃないんだな。
これからも。
「おらんちは大丈夫だった。」
とか言うから、ふーん、そうか。と思っていたら。家のギリギリのあたりまで何も無くなっていた。
何も無くなってしまったエリアには友人の家があった。
いつも犬を散歩していた。
元気だろうか。
そういえば震災後は宮古で犬や猫を全く見かけなかった。
砂に犬らしき足跡。
白浜にあった船は一隻も無く、陸に上げられていた。
牡蠣のカラか。養殖の施設も壊滅してしまった。
白浜には何かしらで遊びにきていた。
小笠原サイダー飲んだ駄菓子屋もなくなった。
そん時の写真。撮っておいてよかった。
小鯖「おめえが撮った白浜の写真、たまに見でるよ」
なんだか、使命感のようなものを感じる。
撮らなきゃないんだな。
これからも。
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